Search

かつてのサッカー少年と有名人は……主将と監督で初優勝 - 朝日新聞デジタル

 湖北の町のサッカー少年とJリーガーになった地元の有名人。6年後、2人の関係は選手と監督に変わった。そして3年目の今年度、主将と監督として全国高校サッカー選手権県予選に挑み、滋賀の高校サッカーの歴史を動かした。

 近江(彦根市)がサッカー部の強化を始めたのは2016年。野球部やバレー部などの運動部が全国大会で活躍する一方、部員は11人にも満たなかった。

 そこに招かれたのが、清水エスパルスでプレー経験のある前田高孝(たかのり)監督(35)だった。引退後に関西学院大で教員免許を取り、在学中に大学のサッカー部のコーチに就任した。ヘッドコーチとして、全日本大学サッカー選手権大会で準優勝を経験したこともある。

 前田監督は虎姫町(現長浜市)出身。だが、高校は片道2時間かけて草津東(草津市)まで通っていた。

 県内の高校サッカーの勢力図は「南高北低」。選手権の全国大会出場は、水口の15回(甲賀時代を含む)を筆頭に、草津東11回、野洲10回と続く。湖北地域や彦根の学校は、一度も出場したことがなかった。

 「湖北の子が目指せる部を作る。県北の子、県南の子、県外の子の力を集めて全国で勝つ。それが自分にしかできない仕事」

 監督就任には、そんな思いがあった。

 サッカー部は破竹の勢いで強くなった。17年、夏の全国高校総体に初出場。選手権県予選でも初めて決勝に進んだが、草津東に0―1で敗れた。

 翌18年、同じ虎姫町出身の選手が入学してきた。

 森雄大選手(18)。前田監督とは不思議な縁があった。

 小学4年のとき、「地元の有名人」を調べる授業があった。選んだ有名人が、前田監督だった。

 自転車で5分の距離にある監督の実家を訪ねた。監督は当時選手生活を終え、タイの貧しい子どもたちにサッカーを教えるボランティア活動をしており、家にいなかった。

 代わりに、監督の母から話を聞いた。「日が暮れるまで近くの公園でボールを蹴っていた」。そんな話を聞いて、あこがれが募った。監督のユニホームをもらい、部屋に飾った。

 森選手は複数の高校から勧誘を受けたが、前田監督がいた近江を進学先に選んだ。「湖北はサッカーが弱いと思われている。選手権初出場の方がかっこいい」

 森選手は熱血指導を受け、味方を生かすパスなど状況判断能力を磨いた。

 2年生にして主力の一人になっていた19年、近江は県予選で2度目の決勝に進んだ。相手はまたも草津東。今度は森選手のゴールで先制したが、直後に追いつかれ1―3で逆転負けを喫した。

 試合の後、前田監督は母から声をかけられた。

 「ゴール決めた子、私知ってるで」。監督はこのとき初めて、森選手が実家を訪ねていたことを知った。

 新チームの主将に森選手を据え、今年の県予選は圧倒的な攻撃力で勝ち進んだ。11月14日の決勝の相手は、草津東を倒して勝ち上がってきた綾羽(草津市)だった。前半は押し込まれたが、後半、森選手のゴールで先制。仲間が追加点を決め、2―0で試合終了のホイッスルが鳴った。

 彦根にある高校としては初の優勝。湖北の町で育った監督と主将が、部員91人を束ねて重い扉をこじ開けた。

 全国大会を前に、2人とも意気盛んだ。森選手は「攻撃でのアイデアの豊かさが強み。見ていて楽しいサッカーがしたい」。前田監督は「まだスタートラインに立っただけ。頂点を取りにいきたい」。(安藤仙一朗)

Let's block ads! (Why?)



"有名人" - Google ニュース
December 05, 2020 at 07:00AM
https://ift.tt/39Iwkmw

かつてのサッカー少年と有名人は……主将と監督で初優勝 - 朝日新聞デジタル
"有名人" - Google ニュース
https://ift.tt/2QiOdyy
Shoes Man Tutorial
Pos News Update
Meme Update
Korean Entertainment News
Japan News Update

Bagikan Berita Ini

0 Response to "かつてのサッカー少年と有名人は……主将と監督で初優勝 - 朝日新聞デジタル"

Post a Comment

Powered by Blogger.