「11人救え」住民団結
1月1日午後4時10分ごろ、激震が石川県能登半島を襲った。あれから1カ月。大震災の混乱がいまだ続く中、振り返る。あの時、何があったのか。震源域にある集落では数多くの家屋が倒壊。救助隊の来ない中、住民たちは連絡を取り合い、がれきの下敷きになった11人を助け出そうと、夜を徹して救出活動を続けていた。あの時、海岸線の景観が魅力の能登半島の外浦でも特に美しいとされる木ノ浦海岸と山々に囲まれた珠洲市折戸町は、震度6強の激しい揺れに見舞われた。多くの木造家屋が倒壊。重い瓦屋根や柱、梁(はり)、たんすの引き出しなどがグシャグシャに折り重なった。
大きな揺れの直後、70世帯余りの住民たちが、避難所に指定されている高台のコミュニティー施設「日置(ひき)ハウス」に集まってきた。「災害の時は避難所へ」と区長の中市(なかいち)多喜夫さん(78)らが日々の雑談などを通じて住民に再三、伝えてきたからだ。
しかし、その場に姿を現さない住民がいた。誰からともなく電話をかけ始め、すぐに11人の安否が確認できないことが分かった。そこで消防団員や住民有志が安否不明の住民の家へと走った。捜索する消防団員らの呼びかけに対し、「コン、コン」と何かをたたく音などの反応が、救出作業に取りかかる合図となった。
消防団がチェーンソーを持っていたが、そんな極限の状況で使う自信がある人はその場にいなかった。扱いに慣れた寺矢さんが引き受けたが、既に日は沈んでいた。暗闇の中、ヘッドライトの明かりを頼りに、崩れた壁や梁ががれきと化した中へ潜り込む。女性の周りで脱出を阻んだ木材などを、夢中で切り出した。
1時間後に助け出した女性は、意識があった。寺矢さんが「ほっとした」と感じた直後、再び大きな揺れがあたりを襲った。
同じく大工の籔立好さん(73)も「同じ地区の人。助けないと」と倒壊した別の家屋数軒で救出に加わり、住民に指示も出した。近所の男性(74)は「大工さんがいないとだめだった」と振り返る。誰がどこに暮らし、どんな特技があるかを知り尽くしたコミュニティーの絆と底力が生み出した救出劇だった。
しかし、折戸町では1階部分がつぶれた木造家屋が道路や隣家にせり出す光景があちこちに広がった。「信じられん光景だった。ばあさんの代から災害のないところと言われていたのに…」。寺矢さんは絶句する。
下敷きになった11人のうち、呼びかけに反応があった8人を住民が救助し終えたのは、翌2日午前3時ごろ。このうち女性1人は助け出された時に既に衰弱しており、救助を要請したが、助けがないまま息を引き取った。応答がなかった3人は、2日の日中までに自衛隊ががれきの中で発見後、死亡が確認された。
「助かった人がいるのは良かったが、亡くなった人もいる」。籔さんはぽつりと語った。(鈴木沙弥)
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