保育参観に行ったらあっちをキョロキョロ、こっちをキョロキョロ、よそ見ばかりしているわが子、病院の待合室でじっとしていられないわが子、ママにとって困った行動に映ることも、もしかしたら将来強みになるかもしれません。
【子育て】強い子に育ってほしい!子どもが気弱になったときの「魔法の声がけ」
『発達障害に生まれて ノンフィクション』のモデルの立石美津子がお話しします。
幼い頃、興味の対象があちこちに移行し、ちっともじっとしていられなかった子どもが好奇心旺盛な特性を活かし将来、ベンチャー企業の社長になった、舌が敏感で偏食の激しかった子が(味に敏感なので)料理人になった、という話を耳にすることがあります。
でも、保育中、周りの子に比べてジッとしていることが出来ず、その行動について幼稚園、保育園から問題視されたら、親として悩んでしまいますよね。
また、専門機関を受診し「お子さんは発達障害の疑いがあります」と言われてしまったら?奈落の底に落とされたような気持になってしまうのではないでしょうか。
実は著名人の中にも発達障害を公表している人は数多くいます。
ジョーズ・ジュラシック・パーク、未知との遭遇で有名な映画監督のスピルバーグ監督。
次のように公表しています。
スピルバーグ氏は2012年9月12日、学習障害を持つ若者向けのサイト「Friends of Quinn(フレンズ・オブ・クイン)」の独占インタビューに登場した。スピルバーグ氏は5年前に「ディスレクシア」と診断されたことを初めて明かし、学生のころ読み書きのレベルが同級生より遅れていたことについて「謎が解けた」と振り返った。
スピルバーグ氏が学生時代を過ごした1950年代には学習障害に対する知識がなく、教師には十分に勉強していないと思われることもあった特に中学時代には多くのいじめを受けたと告白した。しかし10代初めから撮り始めた映画が心の支えになったという。
スピルバーグ氏は学習障害を持つ若者へのメッセージとして、「学習障害は思っているより一般的だ。君は一人じゃない。対処法もあるし、それが原因で人生が不利になるわけではない」と語った。
スピルバーグ氏が学生時代を過ごした1950年代には学習障害に対する知識がなく、教師には十分に勉強していないと思われることもあった、特に中学時代には多くのいじめを受けたと告白した。しかし10代初めから撮り始めた映画が心の支えになったという。
栗原類さん
俳優の栗原類さんは自分が著書『発達障害の僕が 輝ける場所を みつけられた理由』で、自分が注意欠陥障害(ADD)であることを明かし、次のように述べています。
親や主治医が早い時期に(障害を)言ってくれて、弱点というか、自分ができることとできないことがより分かりやすくなった。そういう周りの環境があるから、今がある。出典(『発達障害の僕が 輝ける場所を みつけられた理由』)
黒柳徹子さん
黒柳徹子さん、著書『小さいときから考えてきたこと』に、自身が「計算障害・読書障害」であった可能性があると記しています。
私はこの退学になった理由を、子どもらしい好奇心の旺盛な元気な子どもだったから、という率直な気持ちですべて本当のことを書いた。ところが、(中略)『窓ぎわのトットちゃん』をLD(学習障害)の子を多く診ていらっしゃる専門家や研究者から見れば、何もかもがLDに当てはまるということだった。こんなこと私は思ってもいなかった。出典(自伝『小さいときから考えてきたこと』)
また、一部の学校では教科書に載っている、自叙伝『窓際のトットちゃん』。この名作の中で、彼女の行動を問題視した学校の先生の次のような言葉が書かれています。
「授業中に、机のフタを、百ペんくらい、開けたり閉めたりするんです。そこで私が、『用事がないのに、開けたり閉めたりしてはいけません』と申しますと、おたくのお嬢さんは、ノー卜から、筆箱、教科書、全部を机の中にしまって、ひとつひとつ取り出すんです」出典(『窓際のトットちゃん』)
小学一年生で入学した学校で机の蓋を何度もパタパタさせ叱られたかと思うと、今度は窓際に行き外を歩くチンドン屋を呼び込んでしまいトットちゃんはその後、小学校一年生で、退学になってしまいます。
「他の子の迷惑になるから来ないでほしい」という理由でした。
立派なのはその時のお母さんの姿勢でした。徹子さんを変えようとしないで「この子でも受け入れてくれる学校を探そう」と学校を転校しました。しかも、本人が傷つくことを恐れて、自分の態度により転校させられたとは本人には絶対に伝えませんでした。
その後、転校先で素晴らしい先生に出会うことになります。
校長先生に言われた「君はいい子なんだよ」の一言に救われ、自分が他人と違うことも落ち着きのないことも良い点と捉え、自分を好きになり受け入れて人生を生きてこられた、と語っています。
誰もが知るあの天才たちも…⁉
エジソン
エジソンが生きた時代には“発達障害”という概念はありませんでしたが、彼は幼い頃、決して褒められるような子どもではありませんでした。
算数で粘土を使って“ 1+1 =2 ”を教えた担任教師に、エジソンは「 1+1 の答えは 1 である」と言い張りました。粘土と粘土をくっつけたら 1 になると言うのです。ところが、屁理屈を言う幼い彼に対して担任は、「腐れ脳みそ!」と言い放ちました。
母親は子どもの発想力を理解しない学校の対応に怒り、彼を退学させ、家で勉強を教えることにしました。
そして人類の生活を変えるあの電球の実用化を果たしたエジソンが生まれたと言われています。
その他、アインシュタインやウォルト・ディズニーなど「発達障害であっただろう」言われている偉人や有名人は数多くいます。
マイクロソフト社は2015年に発達障害の代表される自閉症の人をフルタイムで採用することを発表しました。
その際、マイクロソフト社のコーポレート・バイスプレジデントを務めるメアリー・エレン・スミス氏は以下の通りコメントしています。
「自閉症の人たちは、マイクロソフト社が求めている強みをもっています。それぞれに個性があり、素晴らしい記憶力を持つ人もいれば、深い思考力を持つ人もおり、数学やプログラミングに秀でている人もいます。」
例えば、“バグ取り”(もしくは“デバッグ”ともいう)というプログラムの間違いを見つける仕事はこういう人たちが素晴らしい才能を発揮することもあります。
これらの人たちは“発達障害だから”偉業をなしえたのでななく、その特性を活かすことができる周りの応援、支援があったのでその力を余すことなく発揮できたのです。
今の問題で将来、困ったことにはならない
“じっとしていられない”。確かに幼稚園、保育園、小学校の中では困った行動に映ります。
学校教育は一斉指導です。すると「右にならえ」で皆と同じように行動することを求められます。けれども、社会人になると“周りに合わせてばかりいて自分の意思を通さない”姿勢はマイナス要素になることもあります。
席を立つなど勝手な行動をすると“困った子ども”と評価されて“先生を困らせる子ども”。でも、それで人生、困ったことにはならないのです。
あなたのお子さんが発達障害であるとは限りません、単に興味の対象が移行する速度が周りの子より早いので目立ってしまうだけかもしれません。
人生で困るのは二次障害
皆と同じ集団行動が取れないことを良しとしない担任から「お宅のお子さんの行動に困っている」と面談で伝えられてしまったら、たいていの親は家でも同じように注意したくなります。
すると、子どもは学校でも叱られ、家に帰っても日中の出来事をほじくり返され“傷口に塩”状態になってしまいます。
「あれも不足だ、これもできない」と叱られ続けたら、子どもの心に中にはいつしか「僕はダメな人間だ」という気持ちが生まれてきます。そして自信を失い、二次的な問題が起こります。
不登校、引きこもり、精神疾患、自傷、他害などです。これは生まれ持ってきた特性である一次的なものに対して、周りの間違った対応により二次的に起こってきてしまったものです。
親が変わろう
子どもにはこうあってほしいと願いを託すのは自然な感情です。「個性を伸ばしたい」と言いながら、実際やっていることは人並みを求めたり、平均値を意識する子育てだったりします。
けれども、子どもを無理に変えようとしてはなりません。でも、変わるべきなのは親なのです。エジソンや徹子さんのお母さんの真似を少しだけしてみませんか?
<参照> HUFFPOST「マイクロソフト社が自閉症の人たちを採用 より多様な人材を受け入れる職場へ」
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February 27, 2020 at 08:30AM
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